プロフィール

常に体調不良と過ごしてきた人生

子供時代

赤ちゃんの時から肌がかなり敏感に反応してしまい、母は苦労したようです。

オムツかぶれが酷かったため、ステロイド剤を、お尻がほぼ真っ白になるまで塗っていたと母から聞いています。塗ってカバーしないと、かぶれてただれて、出血しておもつがはりついてしまうのです。ですが、ステロイドを塗っていても、根本的には治らなかったようです。

服、化繊のものは特に、首に触るような服など、触れると痒くなっていました。当時コマーシャルでよく見かけたシャンプーで痒くなり、洗顔フォームで更にかぶれ、と肌に使うものにはすぐに反応がわかりやすいために、色々変えてきました。

夏はあせもが酷くて、ベビーパウダーで真っ白になるまで母が背中や首につけてくれていました。冬は、気がつくと、手の指や足の裏の肌が避けて出血していることがよくありました。その都度、保湿になるようなクリームは使っていました。一年中欠かさず持ち歩いて、常に頻繁に塗っていましたし、尿素が入ったものなどかなり強めのものを塗っていました。

でも、運動すること、食べることが大好きでした。

自転車の補助輪なしで乗れるようになると、すぐに母からスーパーへ買い物のお使いを頼まれるようになり、朝ごはんに秋刀魚焼いたりきゅうりやトマトを切って添えたり、生協の配達の手伝いをしたりと、色々手伝いをさせらていました。朝からしっかり食べる子どもでいたためか、肌は色々反応が出やすいものの、夏はプールでは毎回1キロ泳ぐのを目標にしていたり、冬はスケートリンクをひたすら滑ったりしていました。

ただ、母との言葉でのやりとりがうまく出来なくて、コミュニケーションはうまくいかない、認めてもらいたい欲求や強かった幼少期でした。幼稚園の時に一番心から仲良くしていた友達が小学校へ上がるときに私立の小学校へ通うことを、卒園間近に聞かされ、心の準備ができないまま、またかなりのショックを受けたまま小学校へ上がることになり、更にコミュニケーションへの自信がなくなってしまいます。母からは褒められた記憶よりも、あれできてない、これできてない、これしてを叶えるために必死になっていたことばかり思い出されます。

幸い、実家のある家の敷地内にもう1軒家があって、そこに母の両親と弟家族が暮らしていました。叔父は母とは違って、ともちゃんはその笑顔がすごくいいんだから、もっと笑っていたほうがいいよとことある毎に伝えてくれていました。また母から音痴とか母や姉が好きな音楽をリビングにあるスピーカーで常に聞かされていたので、音感をよくしなきゃとか、この音楽を好きにならないといけないみたいな気持ちが湧いてしまっていて、悪いこととは気が付かずに、いとこに音痴だねって行ってしまった時に、音楽は楽しむものだから、音痴とかいうな!そんなこと言うなら車から降りなさいとかなりキツく叱られたことで、逆に私は救われたし、そんな叔父が近くにいて良かったとさえ思ったものでした。

テレビは見てはダメ、漫画もだめ、そんな時間があるならこの本読みなさい、工作でもしてなさい、習い事行きなさい、で毎日何かしらの習い事に通ってした日々でした。母には毎日のように怒られ、叩かれて瞼が腫れて眼帯をして隠して学校へ行くこともありました。

一方で祖父母は孫たちには愛情いっぱいに関わってくれていたように思います。クリスマスにはみんなで大きいケーキを何台も一緒に焼いて、生クリーム塗って、フルーツで飾りつけして、他にもご馳走をたくさん用意してくれて、祖父母、親戚みんなで集まってお祝いしていました。クリスマスプレゼントも毎年用意してくれていて、手編みのセーターだったり、手作りの服だったり、ほんと手作りの愛情溢れるクリスマスでした。お小学もおせち料は全て祖母の手作りで、茨城から取り寄せた栗で作った栗きんとんだったり、材料にも調味料にも拘って、ちゃんと丁寧に一から手作りされたおせち量を毎年用意してくれていて、一緒にお祝いしていました。

しつけの厳しい両親ではありましたが、そのすぐ近くに叔父家族や祖父母がいてくれたことで、随分心の支えになっていました。

祖母の影響もあり、家で買い物やご飯作りをよく手伝いしていたこともあり、小学校高学年になったこと路からは、自分で夜食を作るようになります。食ぱん小さくカットして、アルミのマフィンカップに卵を割り入れ、パンを並べ、ピザ用チーズを乗せて、トースターで焼いたりとか、蒸しパン作ったりとか、オレンジのムースを作ったり、色々し始めるようになります。

姉を見ていて、受験勉強している姉は特別扱いで、好きな本を好きなだけ買ってもらえたり、姉が好きな音楽かけてもらえたり、姉にだけチョコなどのおやつが用意されていたりで、その扱いにあごがれて始めたためにまともに勉強していなかった私は、中学受験は失敗に終わります。ですが、やはり落ちるとショックを受けるものです。厳しい両親にはことごとく酷評され更に傷つきます。そんな様子を見かねたのか、祖母が間に入って、大丈夫まだまだこれからだよ、これから頑張ればいいことだから、全然気にしなくていいよ、って言ってもらえたことで、なんとか気を取り直すことができたものの、色々に辛く、早く家を出ていきたいという気持ちが芽生えたのもこの頃だったかもしてません。

中学生になると、自分の洗濯物、部屋の掃除はすること、毎朝のうさぎごやの掃除担当が始まります。早く自立したかった私は、それを受け入れこなしていきました。洗濯の仕方でわからないことは祖母に教えたもらいに行ったりしていました。

中学校ではもう失敗は繰り返したくなくて、勉強をきちんとしようと決めて努力していたように思います。美術のポスター画で入賞したり、読書感想文でも入賞し、全校の朝礼で表彰されたりということもあり、少しづつ自分にも評価されることがあるのだなと感じれるようになりました。

まだまだ色んなことに制限があり、思い通りにいかないことばかりでしたが、中の良い友達ができて、放課後一緒に沢山話したり、遊びに行ったり、服を買いに行ったりとようやく人間関係でも少しづつ良い方向へ行けるようになってきたと感じたものです。

高校受験が迫った時に、母はある私立女子高への推薦を勝手にもらってきてしまいます。私は自分でいきたい学校が別にあったので、両方受験したのですが、推薦校に受かったので、その学校へ結局は通うことになります。行きたかった学校は補欠合格で、その後ダメだったのかと思っていたら、大学に入った後に、実はすぐに連絡きて受かっていたことを知らされます。本当に色々にコントロールされ、自分が思うように進めなかったことに悔しさを覚えます。自分が行きたかった高校が補欠まで行ったけど、ダメだったと思い込んでいたために、大学受験も自信が持てずに、自分が本当にいきたい方向の他大学への受験を簡単に諦めてしまったからです。

自分の努力が足りないことで思い通りに行っていたい、どうにかしなくては、でも自信もない、出来ないというぐるぐるとしたネガティブ思考に陥っていました。

そんな状態であったためか、肌はボロボロで、ハンドクリームは相変わらず1年中持ち歩き、うっかり塗り忘れると、通学途中の電車の吊り革が肌が切れて出血した手で触ってしまい、血まみれにしてしまうことがありました。

せっかく女子大生になってお洒落したくてお化粧品試したけれど、痒くなるし肌がガサガサになるしで、全く使えない状態でした。

大学は自分の一番の希望の大学ではなかったけれども、当時とても興味を持っていた、バイオテクノロジーや遺伝子解析のことが学べるところに決まり、しかも特待生という奨学金をもらっての進学だったため、ようやく親は私の頑張りを認めることになったように感じます。

大学入った年の夏休みに、その奨学金を使ってドイツ語留学を1ヶ月することになりました。初めての海外、飛行機へ乗るのも初めての初めてづくしでした。留学先は南ドイツのローテンブルグという街でした。環境汚染に関心が非常に高く、何百年前から警官がかわらない、美しい街でした。景観を守るため、環境汚染を避けるため、車の出入りの時間が制限され、日中は街中に車が走っていることはなく、また、リサイクルボックスがあちこちに設置されていて、お店にも再生紙などリサイクルグッズが並び、まだ当時のバブル絶頂期の日本には全く見当たらない概念に、驚きとすごい感動を覚えました。ホームステイ先は料理を出さないスタイルのを選んでいたので、自分でスーパーなどで買い物をして、キッチンで料理していました。生ソーセージやズッキにーみたいに大きいきゅうりとかドイツパン、チーズ専門店、ケーキ屋さんなど色々いき、日本との違いに色々驚かされ、また学びが多い日々でした。行った年は、ちょうどベルリンの壁が壊された年であったため、見にいき、壁のかけらなど拾ったりしたものでした。

ドイツへ行ったことで、自分の中での世界観が随分狭かったことにようやく気がつきます。もっと広い視野、色んな視点があることを知ることができました。

卒業論文の研究の時から、ご縁で理化学研究所で研究をさせてもらえることになります。最先端の研究設備と研究熱心な先生方と、他大学からくる色んな研究生との交流などがとても刺激的で、毎日終電近くまで過ごします。

ですが、体は悲鳴を上げ始めます。背中や肩があまりに痛くて眠ることもまともに出来なくなるのです。毎朝整形外科に通って施術してもらうが、施術による刺激で、今度は内出血が酷くなってしまったり、更には痛みは一向に改善されない日々。その頃は、節約のためにお昼ご飯はそばだけ、その後終電で家に帰るまでほぼ何も食べないで過ごすことが当たり前になっていました。片道2時間かかる距離であったため、朝ごはん、夜ご飯はちゃんと食べていても、欠食の時間が長く、栄養不足に陥り、色んな不調が体に出ていたのだなと、今振り返れば思います。

そんな日々でしたが、母から一人暮らしの準備として、また家事として唯一ちゃんと出来ていなかった料理を習いに行くように勧められます。家庭料の基礎、お菓子作り、麺作りなどその料理教室で色々学び始めます。習ったことは家でも復習して作ってみたりしました。作ったお菓子を研究室に持って行ったりもしていました。

大学卒業後就職して家を出ようと思っていたので、就活を始めましたが、卒業研究が面白くなってきてしまい、内定を断り、大学院へ進むことを決めます。その頃、研究所が色々に変わり始めます。新しい研究棟へ引っ越すことになり、また新しい食堂も出来ます。その食堂は昼だけでなく、夕飯も出してくれる食堂で、サラダやメインディッシュやいメニューが豊富でした。理化学研究所は国内のあらゆるところから派遣されてくる研究員だけでなく、世界中の研究機関、大学生が共同研究などできているために、色んな対応がだきていたのだと思います。そこで毎日夕飯を食べ、お昼ご飯もそばだけの節約ご飯でなくて、もっとちゃんと食べれるように援助してもらえるようになります。また、研究所内のプールに行って好きな時間に泳げることを知り、水泳も始めます。食事も運動もちゃんとできるようになってきたら、背中の痛みがいつの間にか消えていました。また水泳部に入ったことで、他の研究室の方々とも繋がりが増えて、ご飯食べに行ったり、イベントしたり、バーベキューしたりと、楽しい時間も過ごせるようになってきたのです。

ちゃんと食べるご飯も運動も色んな意味において私たちの体にも心にもすごく大きく影響しているのですよね。本当に色んな意味で充実した日々でした。

研究室の室長先生のご紹介でその後農薬会社に内定が決まります。独身寮が完備され、住環境、仕事環境も素晴らしいからとても魅力的でした。そして、心置きなく家から出ていけることにも嬉しかったです。

料理教室で紹介されていたなべや包丁などの調理道具、ドイツ留学時にで会ったマイセンの刺激を受けて食器はボーンチャイナのウエッジウッドやコップはクリスタルガラス、カトラリーはステンレスのものなど、オーブンレンジは三菱の当時300度まで上げられるという本格的なものと一つ一つこだわって選んでものばかりを準備しました。

パソコンも研究職だから使う予定であるし、理化学研究所では1人1台使わせてもらっていたので、操作の仕方もなんとなく分かっていたので、購入し、予算の関係でテレビはなしで生活を始めることになりました。

大人になって

実際に仕事が始まり、研修期間を終えてつくばに住むことになると、今までの都会の便利な環境に慣れすぎていたためか、あまりの田舎度合い、欲しいものがどこに売っているか分からずに探し回る日々にストレスが溜まるようになります。

仲良かった友達などは都内に住んでいることもあり、まだつくばには電車が通っていなくて、都会に出るにはバスで行くしかなく、それでも週末毎に東京へ向かってストレス発散していました。肌に合う化粧品もつくばでは買えなかったので、都内に買いに行っていました。

料理教室で習っていたため、料理をすることは苦無く出来ましたが、今思うと、一人暮らしであったこともあり、炊き込みご飯だけとかかなり栄養的には偏りがあったように思います。

仕事はやりがいを感じて取り組んでいましたが、チームリーダーが変わり、不当な扱いを受けることもあり、次第にやる気を失っていくのも感じるようになります。

その頃、実家から夜中に知らせをもらいます。小さい頃から笑顔が良いからもっと笑った方が良いよとか、私にスキーや水泳を教えてくれた叔父が肺気腫になり長い闘病生活をしていたので、とうとう亡くなってしまったのだと思っていたら、研究者としも大先輩であり、たくさんの教えを教えてくれた、辛い時に本当に心の支えになる言葉をかけてきてくれていた祖父が亡くなったことを知ります。認知症が始まり、お酒を飲んで暴れてしまうこともあったために晩年は大変だったそうですが、それでもやはりショックでした。ですが、亡くなったその日も祖父は元気に祖母の手作り料理を食べて床についたそうでした。寝ようとした時に異変が起きそのまま亡くなってしまったそうでした。

その後、後を追うように叔父もなくなります。長い闘病生活、肺気腫で思うように動けない生活でした。

不謹慎ですが、お葬式に参列し、お骨を見た時に、まだ若い叔父と直前まで元気に過ごしてきていた祖父の状態のあまりの違いに驚かざるを得ませんでした。

食べ物をちゃんと食べれていることと、そうでないこと、また運動できているかいないかで、あまりのも体の中で起きていることが違い、それは年齢による老化以上に大きな影響を与えていると感じたものでした。

昇格試験の時期になり、これから1人の研究者として、どうしていきたいのか真剣に考える機会が来ます。研究を続けていくには、理系の高校であったにも関わらず全く学んでこなかった物理の知識の必要性も出てきました。理科というと、生物、化学、物理と高校では分けられているのですが、なぜかその高校は受験対策優先でこの中から2科目しか選択ができませんでした。研究しているとわかると思うのですが、生物物理、生物化学という分野もあり、でも、実は全部が深くつながり合っているため、どうしてもその一部の知識が抜けていると、研究し、考察していくときに支障が出てきてしまうのです。

また勉強し直さないといけないなと思い始めた頃、また体に色々異変が起きてきてしまいます。肌がボロボロになり、それまで使ってきていた化粧品で被れてしまい、痒くなったり、肌がガサガサになってしまって、全くお化粧できなくなりました、それだけでなく、胃潰瘍、椎間板ヘルニアにもなり、痛みや食べられない状態になり、病院通いの日々が続きました。

今振り返ると、一人暮らし始めたことで、ばっかり食をしてしまい、食事バランスが崩れ、栄養不足が生じ、色んな症状が出ていたのだろうと思われます。胃潰瘍になったことでより食べられず、栄養不足が進んだと感じます。そのことで、仕事のストレスをうまく解消できず、色々に負の循環が始まってしまっていたのでしょう。

でもそのことがきっかけで、自分が本当は何をしたいのか考え直すことができました。その頃、付き合っていて婚約も考えていた彼にもかなり色々あり、互いに自分の悩みを打ち明け分かち合おうともせずに別れることになりました。私も、一方的に彼のやりたいことを応援するために、私は働かなければならないと思い込んでいたので、それがなくなり、自分が本当にやりたいことに進もうと方向転換することが出来たのだと思います。

ようやくそれまでの仕事が体質に合わないことに気が付き始めます。新規の農薬の研究開発よりも、もっとお客さんの顔を見れる仕事がしたい。そんな時に、子供の時に祖母と一緒に毎年作っていたクリスマスケーキや、受験勉強のために夜になると夜食として、蒸しパンや色んなお菓子作りしていた時の楽しさ、家族に喜んでもらえたことなども思い出しました。

更に、日々のストレス解消のため楽しんでいたお菓子作り、大学の時に通っていたお菓子作り教室。お菓子作りを繰り返していううちに、材料によって、季節によって、仕上がりに違いが出てくることに気がつき、疑問が沢山の湧いてきました。もっと知りたいなと思いつつも、あくまでその時は趣味としてとしか考えていませんでした。ですが、その時はもっと知りたいという思いが急に強くなってきました。そして、仕事に出来たら、お客さんの顔も見れて楽しいだろうと感じました。

転職を決意し準備を始めます。1年の準備期間を設けました。

あと1年と準備し始めようとしているときに、会社で仲良くなった今の夫と周りの勧めも強く、付き合い始めてすぐに結婚をすることになります。夢を応援したいの一言で決意してしまうのです。ですが、以前付き合っていた彼との関係の持ち方、両親との関係の持ち方、今振り返れば色々に問題を抱えていて、そのことを解消しようとしていなく、また問題だと気がついてもいない状態で結婚することに決めてしまったことで、気がつかないうちに色んな縛りとストレスを抱えるようになっていってしまうのです。

結婚をしたことでつくばにそのまま住むことになりました。それでも新たにやりたいと思った方向へ勧める嬉しさと希望に溢れていたので、つくばから都内の製菓専門学校まで毎日片道2時間程度かけて通い、2年かけて、洋菓子・和菓子・製パン技術の幅広い知識を身につけます。

学校生活を満喫できたかというと、夢を応援するという一言を間に受けて生活を始めたものの、週末の学校公開日に参加したかったボランティアは思うように参加できず、また資格取ったらあれやりたい、これやりたいも悉く反対され、気がつかないうちに、怒らせたくない、無理してでも合わせようとする言動になっていってしまいます。

シュガークラフトで卒業製作をしているときにも、それが続き、思うように制作に時間かけられないことでストレスになり、粉糖や小麦の粉を吸い込むとアレルギー症状が出てしまうようになります。それでもなんとか形にはして無事に卒業制作ができて卒業、製菓衛生師を修得します。

卒業後は夫の協力は得られないと感じていたので、パティシエになり現場で働きたい希望をあっさり捨ててしまい、専門学校に非常勤講師として働き始めます。仕事ではプロの講師のサポートをしながら、プライベートではプロ向けのフランス菓子教室やシュガークラフト教室にも通い、いずれは教室の開催を夢見ていました。

非常勤講師として1年働いた頃、妊娠し、遠距離通勤でのつわりの悪化をきっかけに、1年半で退職することにしました。勤務中もよくケーキ屋の食べ歩きの研究をしていましたが、同じに見える食べ物でも、つわり症状が酷くなったり、全くならなかったりを経験し、疑問が湧いてくるようになります。段々気がついてくるのです。このつわり症状の悪化には食の選び方に深く関係していたことを体感します。

出産後は夢を一旦停止して、子育てに専念しました。子育てを始めることで、アトピーやアレルギー体質で私自身が経験してきたことを子供に経験させたくないという気持ちから、洗剤や衣類やお肌の手入れ色々なことに気をくばります。

しかし、子どもたちの肌荒れが少しでもひどいと感じるとすぐに皮膚科にかかり、少しの風邪でも小児科に連れていって強い薬を飲ませ、定期的な予防接種を全て受けさせたり、とにかく子供の健康管理に自信がない日々でした。

そんな中、3歳児検診で息子の発達の遅れを指摘され、毎日のように保健センターから電話がかかってくるようになります。どうですか?あれしてますか?これしてますか?ここに参加咲いたらどうですか?元々子育てに自信がなくて、右往左往していたのに、さらに自分の不完全さを指摘され追い込まれている感を味わう日々で気が狂いそうになりました。夫も仕事のストレスなのか、躁鬱症状が酷く、言葉でも行動でも暴力的に振る舞われることが度々あり、子ども2人抱えてどうしようもない辛さを感じたものでした。

幸いなことに近くにある幼稚園に相談に行ったところ息子の入園を快く受け入れてもらえることになり、そのことを伝えると、それならもう心配ないですねということになり、電話が終わりホッとしたものでした。夫のケアまでは手が回りませんでしたが、母子3人で、息子が幼稚園に行っていることで、まま友だちとの交流も出来たりと楽しみも増えてきて、メンタル面でだいぶ変わっていくことが出来ました。

そんな中幼稚園に何か貢献できないかと思い、バザーで手作りお菓子を提供し、販売もすることになりました。その活動がきっかけでママ仲間からの要望もあり、私もやってみたいと思っていたお菓子教室を始めることになりました。クチコミだけで少人数で開催でしたが、毎回満席で大変好評でした。

教室を開催すると、もっとちゃんと色々伝えられるようになりたいと感じ始めます。自身のアトピー症状や夫の花粉症などのアレルギー症状改善にも良いと思い、アロマテラピーやマクロビオティックを学び始めます。アロマ検定1級は独学で資格をとり、アドバイザーになります。アロマセラピストさんより学んだ手作りの化粧品をきっかけに、アロマの学びを生かして、ハーブ10種類ほど使った化粧水・5種類のキャリアオイルをブレンドした保湿オイル・日焼け止めクリーム・ファンデーション・保湿クリーム・チーク・アイシャドウ・リップグロス、すべて手作りをするようになりました。添加物なしで自作した化粧品を使う事で、市販のものに頼らす、薬なしで、お肌の調子が整えられるようになりました。

また、6ヶ月の投薬や水分制限で全く改善されなかった息子の夜尿症が白米から玄米食に変えるにより2週間で完治するなど、驚くべきことが起きました。食や自然のあるがものの力により、肌質改善・体質改善を身をもって知り、少しだけですが段々と健康管理にも自信が持てるようになりました。

ですが、環境が変わってしまいます。現在の自宅へ引越しをすることになり、好評だったお菓子教室の自宅開催が難しくなってしまいます。フレンチレストランやケーキ屋、イタリアンレストラン、オーガニックや添加物フリーにこだわるレストランなどの飲食店で働き始めます。

手作り化粧品は、その後アレンジしたりネットで検索しては取り寄せながら10年以上自作化粧品を使ってきました。オーガニックや精製方法など材料選びにも拘り、添加物は極限までなくし、市販のものよりも安心して使えるようになりました。

日本で無添加の化粧品が多いのは、表示義務のある原材料が海外に比べて遥かに少ないというのも理由の一つです。ですから、実際には、たとえ無添加と表記があっても、肌に合わないことはよくあるのです。

でも今思えば、当時使っていた調味料・原材料に関しての良いものの選び方は、情報に振り回されていて、いい加減なものも多かったのですが、化粧品や日用品を変え、アロマテラピーを取り入れていくうちに、食べ物由来の体の反応、アレルギーに気を留めるようになりました。

子供の妊娠をきっかけに

一番衝撃的だったのは、製菓専門学校を卒業した後、非常勤講師として働いていて、長男を妊娠した時でした。

妊娠中に悪阻があり、学校の授業で作ったケーキやプロのパティシエによるプロ向けのお菓子教室でのケーキは大変おいしく食べられたのですが、

勉強のためにケーキ屋さんを食べ歩きしながら研究していた時に、食べると悪阻が急に酷くなってしまうケーキがあったのです。この違いは何なのだろう?と色々調べるうちに、材料の質・材料そのものの違いによることに気が付いたのです。長男のおかげで気が付けたのでした。もしかしたら、お腹の中で、そんなもの食べないで!と叫んでいたのかもしれないですね。

それからは、製菓製パンの材料だけでなく、調味料も変えていきました。

野崎洋光先生プロデュースのだしポットに出会ったことで、だし汁も顆粒だしやパックだしは使わずに、鰹節と昆布で毎回ちゃんとだし汁を手作りしていました。妊娠期や産後の食事作りにすごく助かったのでした。

息子の3歳児検診で成長の遅れを指摘されて、また夫の躁鬱症状にかなりストレスを溜め、追い詰められていた頃だったと思うのですが、テレビのドキュメンタリーなどで辰巳芳子さんのことを知ります。 かなりのストレスで息苦しさを感じていた時に、辰巳芳子さんの、明日生きるか死ぬかのお父様のために、その命を支えるスープづくりをしていることを知ります。このスープで乗り切れる気がすると、このスープで私も乗り切らないと、子どもたちを守れないなんて思い込んでしまいました。辰巳さんのスープ作りは野菜の切り方からかなり細かくて、作るのにかなり時間がかかるにもかかわらず、時間を作ってポルトガル風にんじんのポタージュやしいたけスープやら作り始めました。 鶏のブイヨン(ボーンブロス)作りまでは手が回らないため、おすすめされていたチキンクリアスープをまとめ買いして冷凍庫に切らさないようにしながら、作っては飲みをするようになりました。スープに使うお野菜が、辰巳先生がおっしゃるように無農薬無化学肥料のもので作ると、特に息子が美味しいと言って喜んで食べてくれていました。

息子の幼稚園が始まり、スープのお陰もあり、いつの間にか乗り切れていました。

子供達が風邪や高熱で食事が取れなくなった時、回復時にしいたけスープを作ってあげたら、美味しいって飲んでくれて、辰巳芳子さんのおっしゃる通り、このスープであすへの命がつながったと本当感動しながら、有難いと感謝していました。

その後も色々調べていくうちに、食の選び方によって、体質に様々に影響していることを体感していきます。

私自身がアトピー性皮膚炎が酷かったので、子供に同じ思いをさせたくないと、生まれた時から、肌着選びや使うものは細心の注意を払い、洗剤や衣類やお肌の手入れ色々なことに気をくばりました。おむつかぶれをさせない為に、毎回、マヨネーズボトルの小さいのに入れたお湯でシャワーの様にして洗っていました。肌になるべく負担の少ない保湿もしっかり行っていました。

しかし、肌荒れがひどいと皮膚科にかかり、少しの風邪でも強い薬を飲ませ、予防接種を受けさせたり、とにかく子供の健康管理には自信がないゆえに、薬や病院と切れない日々が続いていました。

 

震災をきっかけに

その後、東日本大震災を体験することになります。

私の住む地域も断水、停電になり、水を汲みに行きカセットコンロで生活をしながら、止まらない頻繁な揺れにストレスも溜まっていくのでした。

そんな中、原子力発電所が爆発して放射能が漏れ、甚大な被害が出ることを知ります。

子どもたちと一緒に水を汲みに行っていた正にその時に、私たちの住む地域にその放射能が流れてきて、被曝させてしまったことを知り、その時のショックやパニックは今でも忘れられない出来事です。もう、ここに居続けることが、これ以上被曝させ続けてしまうことが恐怖でした。姉に相談して、京都に一時避難させてもらうことにしました。京都では揺れがなく、停電がなく、水は美味しいし、安全。公園では普通に小さい子どもたちが遊んでいて、食材も安心なものが手に入ることで、本当に癒されたのでした。

自宅だけでなく、あらゆる環境がすっかり変わってしまいます。戸惑う日々でした。どうにもならないストレスを感じつつ、今までの当たり前がそうでなかったことに気が付き、食と心と環境と体の繋がりを更に深く意識するようになりました。

しかし、食選び、どんな食事をしていくのがいいのか、子どもたちの未来のためにどうしたらいいのか?さらに分からなくなってきている時でもありました。

つくばに戻ったり、避難させてもらったりを繰り返していました。2年後、急に夫が仕事でインド赴任が決まり、帯同で駐在することになります。

インドでの生活

この環境にずっとい続けることにかなりストレスを感じていたので、一緒にインドに行きたい!

しかも南インドは一年中暖かい気候で、そのためか住んでる人も穏やかで、のんびりしているというお話を聞き、是非行きたいと思ったのでした。

インドという今までにない環境でも子どもたちも自分も元気に病気知らずに過ごすためにはどうしたら良いかを考え、ヘナ・アロママッサージ・ホメオパシーのキット・調味料選びなど学んだり、情報集めたりして、できる限りの準備をしていきます。

インドに住み始めると、震災を経験した方やインドで色々苦労しているからこそなのか、「お互いに助け合おう!話を沢山しよう!コミュニケーションを大切に!困っていることあればなんでも言って!」と本当に沢山助けていただいたのです。あっという間に今までの凝り固まっていたものが解れていき、人との繋がりでこんなにも癒されることを知るのです。

インドの気候のせいなのか、人の温かさ、のんびりした感じなどで、今までキリキリとキツキツと生きてきてかなりストレスを溜めていたことを改めて感じることができ、自分を解放していくことが出来た始めます。そして、周りに本当に温かい人たちが多かったです。

体調を崩してしまった時、インドではアーユルヴェーダを取り入れたりします。

実際にお腹を壊してしまった時に、インド流のおかゆみたいなものや飲み物を作っていただいたりして、薬に頼らずにあっという間に改善したのです。アーユルヴェーダ専門のレストランもあり、崩し気味になるとそこへ行き食事すると良くなる事を体感しました。インド滞在中はそんなわけで、全く病院に行かずに元気に過ごすことができたのです。

周りからのご縁で、インドならではのヨガスクールにも通いました。本来は一年以上掛けて学ぶところ、タイトスケジュールで6ヶ月でなんとか習得できる様に組んでもらい、ほぼ毎日、どっぷりヨガの勉強に没頭していました。

まず、スートラという哲学を学ぶところから始まるのですが、そこで、呼吸と体と心が深い繋がりがあることを学びます。呼吸を整えていくことで、体も心も整っていくのです。ヨガの先生はビーガンがほとんどです。食で何を食べるかもこの体や心に影響していくことを体感しながら学んでいくことができました。

ヨガスートラを始めとする古代からの教え、ガスートラを始めとする古代からの教え、哲学をまず学ぶことから始まり、呼吸法、体の仕組み、マントラ、体を徐々に緩めながら整えていくことなど広く学びます。呼吸や心のあり方、季節や環境の変化への対応の仕方などを学ぶことで、食以外でも、また少しの工夫で体質改善に役立つことがたくさんあることを知ることができました。

日本へ帰国

夫の仕事の都合で2年弱の滞在期間の後、帰国したのですが、しばらくはインドロスで日本の生活に馴染めずに、またストレスを抱えることになっていきます。

ヨガはまだ日本で自分にあうスクールに出会えていないのですが、アーユルヴェーダの学びを更に深めたいため、香取薫先生の教室に通いました。インド料理もそこで基礎から学び始めました。そのことで、食で季節の変化への対応の仕方、環境が変わった時、日内の時間毎での対応の仕方、個々の特性に合わせた食生活の仕方など、本当に様々な場面において食で対応していくことができ、またアーユルヴェーダは常に、昔から、人で検証を繰り返してきているので、その裏付けもしっかりしていることを知ります。

インド好きな先生、教室の皆さまとの交流でインドロスは改善されます。

そして日常のストレスをなんとかしたい想いで、前世療法やインナーチャイルドの勉強も始めます。ヨガを学んだおかげで、ヒーリングしやすい状態にはすぐに入れるのですが、毎回どうも良い子ちゃんであったり、とっても穏やかでなんの問題もない人生だったりで、やり方は身につけられたとは思うのですが、実際にストレスやモヤモヤの原因を知ることはできなかったように思います。まだまだそれを知るには他に私にやるべきことがあったのかもしれないです。

古民家カフェを開きたいというお話があり、オーナーと話し合いを繰り返しました。カフェのコンセプトでの安い・簡単・ボリュームを求める料理は私とはどうしても考え方が折り合うことができませんでした。アトピーやアレルギーで悩み続けてきたことから、そういったものは提供したくないという思いが強かったためでした。すごく大切なことなのに、私の力不足でした。

そして、インド行く前に学んで、インド滞在中に散々使っていたアロマタッチですが、それをすると体にアレルギー反応が出るようになりました。アロマテラピーの勉強していたので、アロマオイルは天然自然のものではありますが、濃縮されているため、使い方を間違えると逆にとても危険なことも知っていました。なので、このアロマタッチを当時教えてくれてもいたアロマセラピストの知り合いの方何人かにこのアレルギー反応のことを話したら、やはり同じ体験をしていたから今は使っていない、オーガニック認証をちゃんと取っているところ、また成分分析データをきちんと毎回アロマオイルと一緒に同封してくれているところのに今は変えて使うようにしているし、そもそもその使い方はやっぱり危険だよね、セラピストとして講座やサロンなどで使うことは問題かもということになりました。アロマタッチはスキンシップもできるので、幸せホルモンや心の安定に良いホルモン分泌にも良いということはわかっていますが、キャリアオイルを使ったアーユルヴェーダのマッサージとアロマオイルでのマッサージは危険性が大きく違うと改めて感じたものでした。

 

その後、手作り化粧品使い続けることにも限界を感じる出来事が起きます。

オンラインでできるだけ体に害の出にくい材料を買って手作り化粧品を作り、使い続けて10年以上経っていましたが、ある時からその化粧品にもアレルギー反応が出るようになってしまいました。

手作り化粧品を本格的に学び、専用ルートから材料を仕入れている方にそのことを質問してみたら、最近ヨーロッパではその材料を化粧品に使うのは禁止するようになったんです。同じようにアレルギー症状が出ることが解ったからなんです。と教えてもらいました。

素人である私がその最新情報を得ることは難しく、またそこまでこだわった材料を自分が使う分だけ仕入れることの難しさもすごく感じました。

ですが、同じようにアレルギー体質で悩んでいる方はいらっしゃることもあり、最近では、アレルギー体質の方でも使いやすい化粧品が色々選びやすくなってきているのも知ることが出来ましたし、素晴らしい化粧品にも出会うことが出来ました。

苦労して素人の私が自分で作ろうとせず、私個人では到底作れない、そういう良い化粧品を使う方が良いと感じるようになりました。

以前は夫から化粧品にそんなにお金かけるなんて馬鹿げている、お金使いすぎとかなり罵られたことで、どうしようもなくて、自分で手作り化粧品に頼ってきましたが、自分で買えるだけの力をつけておけば良いと今は考えられるようになりました。ここに至るまで、本当に長い時間がかかってしまいました。

アロマタッチも、手作り化粧品もそうですが、メリット、デメリットの両面をちゃんと見て、そして判断していくことがとっても大切なことを知る良い機会になりました。そして、一方からの視点だけでなく、色んな方面から見ていくこともすごく大事だということがわかる良い経験になりました。

安部司先生との出会い

そんな中、安部司先生が加工食品診断士を養成したいという想いであることを知ります。まだこれから始めるという時で、プレ講座に行きました。

今まで私が調べれば調べるほど、原材料表示見てもよくわからずにモヤモヤ抱えてきた事が、先生の下で勉強する事でスッキリするのでは?と期待に溢れました。

アトピー性の皮膚炎はだいぶ改善していたのですが、痒みが残り、時々酷く痒くなることがあったので、その原因を知りたいための探究心と、裏付けのしっかりした食選びが出来るようになりたいという気持ちもあったためです。

講座に通い始めたそばからボロボロ鱗が剥がれ落ちてました。ワクワクが止まらず、学んだ事を直ぐに実行していくことで、どんどん変わっていきました。一緒に講座を受講していた仲間との会話でも、そのことを実感しているのが、私だけではなく共感する部分がかなりありました。

この知識は本物であると実感したのです。

第一期として出会ったこともあり、一緒に受講しているメンバーは食改善に詳しい方ばかり。交流していく中で、この情報を伝え広めていくことの重要性、安部司先生のように日本全国各地で草の根運動のように伝えていくことの重要性、これからの時代に必要なことと更に思うようになりました。また安部先生の下で学べた事で、ちゃんと伝えられる力も付いていたのでした。

卒業して診断士となった時、子供の通う学校でご縁をいただき、食品添加物や食の選び方・食べ方で子供たちの体や心への影響があることを話する講座を開催するチャンスをいただきました。安部司先生から直々に指導をいただきながら作成した流れで話をしました。開催すると、予想以上に反応がすごかったのです。

また、中学生に直接添加物実験でジュースやマーガリン、豚骨スープ作りを体験してもらいながら食選びの仕方を知ってもらう講座も中学校で開催しました。

どちらも、ほぼ8割以上が「内容に大変満足、もっと聞きたい」という感想でした。

それから少しづつですが、食品添加物実験を交えながらの講座を開催していくことになります。

ただ、どうしていったら良いのか、伝えたい気持ちはあっても、やり方がよく分からない、自信がないなどで、順調には行きませんでした。

ちょうどその頃、グルテンフリーの米粉パン作りに興味がわき始めます。大塚せつ子先生の教室もその頃知り、シンプルな食材、体に負担少ない食材で、感動すら覚える美味しい米粉パン作りをされていることに共感し、教室で学び始めました。

仲間が食改善ワンデー講座を提供する法人を立ち上げる

仲良くしていた同じ一期生の加工食品診断士仲間がワンデー講座を若い世代向けに開催するため、資料作りを一緒に手伝ってくれなか?と提案を受けます。

私も1人でするのではなく、彼女と一緒なら、思う存分の知識を活かしていけるのではと協力することにします。

それからは、当時勤務していた地元のオーガニックショップの勤務日以外は全て資料作りに時間を割いていきました。

2人で提案出し合いながらの作業は大変楽しく、すごく勉強にもなり、充実した時間になりました。

3ヶ月後に最初の開講日が既に決まっていたので、資料作りだけでなく、間に合うように、会場決め・集客の仕方・添加物キットの準備・実験のための道具・調味料の注文・タイムフローなど、決めていくことがたくさんありました。

3ヶ月後には会場ほぼ満席でお客さんが集まり、無事開催でき、アンケート内容でも大変満足をいただけたのでした。

資料のブラッシュアップや、タイムフローの見直しなど、講座開催の度に繰り返し、より良いものが出来上がっていったと思います。

気がつかないうちに、自信もついてきました。

独立を決意

ですが、ワンデーの次のステップにしたいということで新しいコース講座も作ることになりました。ですが、その作成の時から、資料作りは一緒にすることがなくなり、ミーティングもあまりしなくなりました。ほぼ1人で作業していたこともあり、段々とお互いの想いのずれに悩むようになっていきます。

私自身が本当に伝えたい相手が彼女のそれと少し違うのかもと感じ始め、そうなると伝え方も違ってくると思うようになり、一緒に仕事していくのは難しいと思い、彼女の法人のスタッフを辞めることを決意します。

講座を開催しながら勉強を重ねていくと、今の日本の食の現状、子供たちの体質のこと、心の病の現状が更にわかり、今日本はかなり深刻な問題を抱えていることがわかってきます。

食を変えることで、子供たちは勿論、原因不明の不調を抱えた大人までもが改善される報告が沢山あることを知り、私が今まで学んできたことを、今沢山の方に知っていただくことで、よくすることができるという想いが更に強くなりました。

 

オーガニックショップで働き始める前はパン屋で仕事していました。けれど、2ヶ月くらい経った頃から小麦へのアレルギー症状に気がつき始めます。合わせてバター香料への過敏反応も出てくるようになります。眠気とお腹が風船のように膨らむ感じと疲労感とがすごくて、またバター香料の香りを嗅いでいると頭が痛くなってしまうようになり、仕事を変えざるを得なくなります。働いた期間はたった3ヶ月でした。

小麦アレルギー改善のため、既に家では米粉パン作りを始めていたので、普段の料理にも小麦を使わうのを辞め、グルテンフリー食を始めることでも体質改善できることを身をもって知る事になります。お醤油や味噌などの発酵調味料は小麦含有でもそのまま使っていました。

小麦を避けるためというより、私たち日本人がずっと昔から食べてきたお米を食べることがすごく体にも良いことを実感し、更に米粉のお料理は、日本の抱えている食糧自給率の増加や環境蘇生への影響においても社会貢献できることであり、その価値の素晴らしさを伝えたいという想いもわいてきたのでした。

どのようにその価値の素晴らしさを伝えていこうか悩んでいた時、通っていた教室で「文化祭」を教室のオーナーの大塚先生主催で開催することを知ります。先生から、開催費はイベントの準備費用に寄付という形になるが、そこで講座してみないか?と提案していただきます。大塚せつ子先生の米粉パンの素晴らしさを含め、現在のパン事情のことも沢山の人にちゃんと知ってもらいたいと思っていたので、喜んで引き受けました。

この講座が大変好評であったため、大塚先生の教室の場所を借りて、食で体質改善講座を開催させてもらえるようにもなります。大変ありがたいことでした。

そんな時に突然のニュースです。

教室とは別に集まり、より美味しい米粉パン作り試作をしたり、売れるものを作りたいという米粉パン作り研究や学びを重ねていた、グルテンフリークッキング認定講師になった仲間の1人が大病を患っていることを打ち明けられます。お教室開催したり、お店したり、とてもそんな気分になれないという大変悲しい想いを抱いていることを知るのです。一緒に描いてきた夢がもう叶わないかと思うと悲しい気持ちになりました。

ですが、だからこそ、今目の前にこの仲間がいて、私に悩みを打ち明けてくれたということは、私がやらなければならないことがある!私に力になれることがある!と思うようになります

与えられた試練、もうぐずぐずしていられないと気づくきっかけにもなりました。

もっと伝えたいことがある

必要としている人に食で体質改善できる情報をもっとちゃんと伝えたい、それを仕事にできるようにしたいという気持ちがさらに強まります。

そのためにさらに学びにいくことにします。

起業塾に通い、コース講座を作るために学び始めます。

仲間のためにすぐに役立ちそうな、調味料の選び方を3回コースで、オンラインで開催するけどという今の自分にすぐ出来る提案を仲間にしてみました。常日頃私から、食の選び方は体にとってとても大切なこととと聞いていたので、即受講したいとお返事いただけたのでした。ちゃんとしたコース講座を作りながらも、まずは簡単な3回コース講座を開催していきました。今思えば、いい練習になりました。

コース講座をしながら、大塚せつ子先生のところでも、違うテーマで単発講座を開催します。人を集めるのが大変で思うようには最初は集まらなかったのですが、月ごとにテーマを変えて、3回開催しました。3回目にはほぼ満席になりました。

起業塾で学び続け、コース講座の原案ができ、提案の仕方を作成し、一番に伝えたかった仲間に、その作成したものを添削してもらうためみてもらったのでした。最後に感想を聞いた時に、なんと彼女が、「これ私受けたい!」って言ってくれたのです!!

ファスティング

大塚せつ子先生主催の文化祭の時に開催した講演で、食改善を仕事として取り組んでいるという方とめぐりあいます。その方のご縁である商材の食改善セミナーへ参加しました。

会社のコンセプトが子供たちの未来のため、地球蘇生のためであり、私が普段伝えたいと思っていることと全く同じことを伝え広めていることに感動しました。そこで、食改善に取り組んでいる沢山の方との出会いがあり、また新たな学びの機会を得ました。

以前から興味があり、講座を受講したこともあったけれども、実はその原材料の不透明さに、摂り入れることができないでいた、酵素ドリンクを使ってのファスティングが、この会社のものは、全くの懸念がなく、むしろ人に勧めたくなるほどの素晴らしい中身であることを知ります。

仕事しながらでもマイペースでできる、しかも、中身も安心な酵素ドリンク・酵素ペースト・焙煎玄米茶を使ってのファスティングは、今までの常識を覆されるものでした。

以前知っていた方法では、栄養が足りないから、サプリメントを併用したり、体が冷えるので陶板浴に通ったりして体を温めながら、または合宿するなど、ファスティングしながらしなければならないことが多く、仕事と子育てと時間に追われ、しかもアトピーやアレルギー反応が気になるのでケミカルなものをまた体へ入れることへの抵抗から、私には到底無理という想いでいたので、アトピーやアレルギー改善のためのファスティングに興味はあるものの一歩踏み出せないでいたので、これは良い!とすぐに試したのでした。

ファスティング3日間、準備期3日間、回復期3日間を初めてやってみました。

以前から、砂糖やカフェインは控えていたので、頭痛などの影響は全くなく快適にスタートしました。ですが、腸内環境は良くないのでしょう。便通が止まります。でも、それまで酷かった痒みがおさまり、アトピー特有の症状だと思いますが、肌がボロボロ剥けてきました。アカスリに行っていないのに、ボロボロ垢が落ちていくようでした。脱皮、そんな表現がぴったりでした。体重はもともと気にしていない方でしたが、体重は減り、お腹周りや背中がスッキリして、最近きつくなっていた服もスッキリ綺麗にきこなせる体型に変わっていました。

ボロボロ垢が落ちていくよう向けた後の肌質は明らかに変わりました。

それまではすぐに出ていた痒みが全く出なくなり、疲労感がなくなり、思考もスッキリしました。

ファスティング初回は、今までの蓄積されてきてものを、ちょっと出すよ〜の準備をするくらいで、あまり期待はしていませんでした。ですが、ファスティングを終えると、その後の体調が全く今までと違うことに徐々に気がつきます。ファスティングを終えても、焙煎玄米茶、酵素ペーストは日々の食生活にとりいれていたので、良かったようです。

リバウンドはなく、定期的に1年以内に合計4回行いました。4回目までで、体重は4キロ気がついたら減少しており、肌年齢は、実年齢の半分以下24歳にまで若返るようになりました。

ファスティングはちゃんと良いものを使うことで、その効果が予想以上にすごく、またマイペースで短期間に効果を体感できる、今の時代にぴったりあった素晴らしいものだと感じてしまったものでした。

私一人、個人的な考えでなく、この方法でファスティングを行ってきた方々の沢山の感想、事例をうかがっていると、裏付けされて良いものだと思ったものです。

シルクフィブロインとR菌代謝物との出会い

今までは化粧品は手作りしていきました。

アトピー体質の肌では、たとえ敏感肌用に開発されたものでも、市販のものでは満足できないものばかりなのもありました。

ですが、手作りでも、その症状を改善するのはなかなか困難です。乾燥を最低限抑えることはできますが、肌質を改善することは中々難しいのです。入れたい材料に拘り始めると、自分で開発するのも大変な労力がかかります。

最近では新しく発売されたものに素晴らしいものが出始めています。出会ったのが、このシルクフィブロインを使った化粧品です。

添加物はたったひとつ入っています。保存目的で、薬機法により入れないと商品化できないということだそうです。分子量が大きいものであり、実際には肌への吸収は抑えられ、私でも安心して使えるものでした。

アトピー症状が悪化していたら使えないのが一般的ですが、この化粧品はそんな時に使うと、むしろ改善を助けてくれるのです。

シルクフィブロインは手術した後の体の中の縫合に使われるものと同じ繊維質のもので、アレルギー反応がほぼ無い(事例なし)と言われています。肌のアミノ酸成分とシルクフィブロインの成分がほぼ同じ、一致するそうですが、それも理由かもしれません。

また界面活性剤を使っていないことも大きいです。肌にも常在菌がいますから、肌の微生物の働きを妨げることなく良くすることは、肌質改善に大変大切なことです。そのことにも関係しているのだと考えています。

お肌は水溶性と脂溶性の部分がミルフィーユ状に交互に重なっていることで、外敵から体を保護しています。その層が、界面活性剤を使うことで、乳化されてしまい壊されてしまうそうです。だから、肌が荒れてしまうのです。アトピー、アレルギー用化粧品というものもありますが、中身をよく見て選ぶ必要があると思います。肌に炎症がある方には、肌ケアの仕方も注意が必要です。

化粧品や肌に使う日用品による肌荒れやいろんな害のことは以前から気になっていましたが、薬学博士の竹内久米司先生の立ち上げられた協会や本から「経皮毒」のことを学んでいくことでよく分かりました。

食選びももちろん大切ですが、日用品選びもアレルギーやアトピー体質改善には実はとても重要なことなのですよね。

 

食で体質改善講座開催

オンラインで6ヶ月で広い視野から学べる食の選び方、食習慣改善コース個別講座を開始。

食品添加物実験も体験して、調理実習も盛り込み、ただ知識を入れていくだけでない、五感で感じ取って、体験・体感をもとに、本当に腑に落としていけるように心がけながらコース作りをしました。

講座開始時、その時のテーマに関して感じること、思うことを聞いてから、講座受講後に、また同じように感じたこと、思ったことを聞きます。

毎回、

「もう知ったから変えなきゃ。なるほど。それは変えていかないとね。今までの生活で思い当たることがあるから早速とりいれてみたい。本当のことがわかった。」

と言っていただけてます。

知ることで、頭はパンクしそう、ショックなことも沢山あります。

私自身が加工食品診断士養成講座で学んだ時そうでした。

だからこそ、判断基準が違っていた、価値観がひょっとしたら違ったかもと気がつけるのですよね。

受講生の鍼灸院の先生には、患者さんに最初の問診ではなかなか聞けないけど、施術しながら体の状態をみているときに、こんな食生活していませんか?と聞くとよく当たるようになったそうです。その時に的確なアドバイスが出来るようになってきていますと嬉しい感想をいただけました。

米粉の料理教室や販売をしたいと思っている仲間の受講生は、ここでの学びを活かして、グルテンフリーだけでなく、食品添加物フリーやオーガニック、本当に小麦に対するアレルギー症状など、色々に過敏に反応が出て困っている方のために本当に役に立つようなお店作りをしたいと素敵なお店を作りました。講座開催のきっかけをくれた彼女です。本当に嬉しい形になりました。

ここで学んだことで、私がそうであったように、自分軸で選択する力がつき、ちゃんと他の人にも分かるように伝えられるようになり、ご自身、ご家族、その周りにいる方々、そして環境も良くしていくことができるようになるのです。

 

より良いコミュニケーションにも大切なこと

NVC=Nonviolent Communication 人と人との関係にいのちを吹き込む法の本の読書会へ定期的に参加するようにしてきました。1年以上かけて1冊の本を読み、その都度、読書会メンバーで気付きや感じたことをシェアしてみたり、ワークをしてみたりしてきました。

会話していく中で、相手を評価したり、決めつけたりするのではなく、自分が抱いている感情と自分が必要をしていることに耳を傾ける。

ジャッジしないで観察する、道徳とか常識とか押し付けようとしない、コミュニケーションがうまくいっていない時の振り返り方、どうしたら大事にしているものが違う相手と上手くコミュニケーションが取れるのか、共感の仕方、思いやりをもって自分自身とつながる方法など、沢山の学びを得ることができました。

今まで色んなことで傷ついてきていたこと、私自身の内側ではもう傷つきたくなくて分厚い壁を作ってきていたことに、ようやくちゃんと気がついてあげられるようになったのです。本当は感じていた怒りを感じてあげられたのです。

しかも、この怒りは、コミュニケーションの中で生まれたとしても、その受け止め方で全然変わってくることも知ります。メッセージを突きつけられた時、自分自身を責めるのか、相手を責めるのか、自分の感情と自分が必要としていることを感じ取るのか、相手の感情と相手が必要としていることを感じるのかこの4パターンのどれを思い起こすか。

自分の中にわいた怒りをじゅうぶんに表現したいなら、まずは自分の怒りを相手のせいにしないこと。自分の感情と自分が必要としていることに意識を向けること。自分が必要としていることを伝えるだけで、相手を悪いと決めつけるようなジャッジをしたり、非難したり、罰を与えたりしないこと。そうすることで、怒りも元になっていた、自分が必要としていたことが満たされる可能性が高くなることを知ります。

怒っている時は感情的になりやすい。だから①立ち止まって深呼吸。②人に非があると決めつけている自分の考えをよく点検してみる。③自分が必要としていることを明確にする。④自分の感情と、必要としているが満たされていないことを表現する。この③と④の間には相手に共感することを選ぶ時もある。

実は人の言動によって怒りが生まれることはない、というのです。怒りの原因は、非難や決めつけをする自分の考え方によるのであるというのです。

今まで思い通りにならないと思ってきたことも、結局は自分の中での縛りや基準や価値観みたいなもので、自分が作り出したものでそういう選択になってきてしまっていたのだということです。

感情的になったり、ネガティブに考える傾向があったり、柔軟に考えたり、受け入れたり、感謝の気持ちを持ったり、そういった感情はどこからくるのでしょうか?分子栄養学の学びをしていて気がついたのですが、栄養不足になるとセロトニンやオキシトシンなどの幸せホルモンや前向きに物事を捉えられる思考になりやすいホルモンが少なくなってしまうし、また自律神経のバランスが崩れていたり、低血糖状態であったりすれば、闘争心や不安感が出やすい状態にもなります。

NVCの学びをしても、結局はどんな食生活をしているのかで、実践できるかどうか、強く影響を受けるなと感じたものでした。

この本を1冊読み終えた、最後のワークをみんなでしました。NVCで感謝を表現するというものでした。お互いに、他のメンバー全員に感謝のメッセージを書いて、発表しあったのです。メッセージを書いている時に、すでに幸せな思いで溢れて感謝していたのですが、もっとすごかったのは、感謝のメッセージを皆んなからいただいた時でした。いただいた瞬間、体の真ん中からすっごく熱くなり、熱い涙が溢れてきました。言葉にならない位の感動が先ずきて、しばしぼーっと浸っているしかできませんでした。心も体もすごく喜んでいるのを感じたのです。

子供の頃、毎年お誕生日には心のこもったメッセージが書かれた誕生日カードを両親からもらっていたことを思い出しました。結婚してからも、それをしようとして夫に送ったのですが、夫から誕生日に貰ったメッセージが、夫の私に対する要望と評価しか書かれていなくて酷く傷つき、それ以来やり取りするのをやめてしまっていたことも思い出しました。それでも、子供たちにはメッセージを送っていたのですが、それもいつの間にか辞めてしまっていました。

NVCでの感謝の表現が私にこれだけの感動を与えてくれたのだから、子供たちにもまた送ろうとその時に思い直したものです。

この感謝の表現ワークをしたことで、私の心の内側にいた私が、ようやく分厚い壁を溶かして、やっと出て来れるようになったといっているような気がしました。インナーチャイルドヒーリングしようとしても出来なかった本当の私がこの時ようやく出て来れる時になったようでした。

読者会でのワークを何度かしてきて、自分が一番大切にしていることも、ようやく自覚できてきました。

今は、「わかりあえない」を越えるで学びを続けています。言葉の奥にある大切なものを聴き合う対話法。これから先、一人で取り組むよりも、コミュニティの中でコミュニケーションを取りながら、共に未来をつくっていきたいと思っているので、そのために必要なことが学べると思っています。

私はヨガティーチャーを修得するためにヨガスートラを学んだ時の考え方、その真髄に似ていると最初に感じたのですが、仏教を真剣に学んでいる人であれば、これこそ正に仏教の教えというみたいですし、キリスト教であれば、聖書に書かれている一番大切なことと一致しているというそうです。宗教の宗派は例え違っていても、また聖典に書かれていることも、人と人とのコミュニケーションや生き方において、これが良いという最も大切にしている部分は同じで、共通しているのだろうなと感じました。だからこそ、この学びがこれからさき生きてくるし、必要であるし、知っておいた方がはるかに良いだろうと感じています。

これから

コロナをきっかけに、様々な症状、痒みがひどくなった、疲れやすくなった、だるい、太りやすくなったというお話を聞いています。

一方で免疫力アップとか、食への関心が高まっているという報告もあります。

環境の変化でストレスで症状が悪化する例が出てきています。

ご自身の健康管理、成長期のお子様が心身共に健やかに成長するためのサポートに不安はありませんか?

見た目やメディア情報や食の専門家ではない方の情報で食選びをしていて、実は不調があったりしていませんか?

情報は色々あるので、どのような情報源を選ぶのか、どのような捉え方をするのかで得られる情報が全く変わってきてしまいます。

心身共に健やかになるための食の選び方をちゃんと知ることが、とても大切に時になってきています。そして、ご自身の健康の状態や症状はご自身でしかわからないことなのです。そのためにも学ことがとても大切です。

色んな視点から見たら、捉えられたりするようになっていくので、情報に振り回されてしまうことなく、自分軸で選択できるようになります。

健康でいたいのは当たり前のことで、生きる目的ではないはずです。

幸せに生きるにはどうしたら良いのか、そのための心身の土台作りです。食選びはとても大切で必要な知識になります。

食事を適正化することで、味覚が研ぎ澄まされ、感覚や思考も本来持っているものに戻っていきます。食品だけでなく、より良い人生の選択にも繋がっていることを知っていただきたいと思います。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございます。

ご興味を持っていただけたら嬉しいです。

 

biobioTOMO 前田とも

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